カラダの細胞や魂が喜ぶ、いのちのつまった野菜つくりを追求し、自家採種、無肥料、自然農、自然農法、自然栽培を実践中。農薬を使用しないのではなく、そもそも使用する必要がないことが健康の証です!


by shizenchiyuryoku

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カテゴリ:基本的な考え方( 27 )

500年の自給自足


「日本の伝統農法体験」というツアーに参加しました。わずか8軒が500年にわたり自給自足に近い暮らしを営んできた集落を訪れ、現在80歳の長老がその知恵を公開してくださる!という貴重な企画であったので迷わず即刻に申込み参加しました。


「天空の里」大沢集落は静岡県北部の山間地域にある水窪(みさくぼ)町からさらに上の標高750メートルにあります。到着した日は雨あがりの霧が立ち込めており集落や畑の景色はまさに天空の楽園を思わせます。
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貴重で普遍的な知恵を惜しみなく語っていただいた別所さん(80歳)のお話を基本にレポートします。


1、集落の歴史について

今から500年ほど前の戦国時代に「木地屋(きじや)」(ろくろを使って椀や盆など、木地のままの器物を作る職人)の藤谷氏が殿様に献上したところ気に入られ、好きなだけ山をやると山を与えられたのが始まりであった。
藤谷氏は山を公平に8区分し8軒が暮らせるように分配した。
8軒以上になると自給自足の可能な範囲を超えてしまい持続不可能になるという先見力のため、長男が継ぐことで将来も8軒を超えないようにと取り決めた。
また地主と小作というような上下関係が出来ぬよう、公平に山を区分したことも驚嘆に値する。



2、ライフラインについて

水は湧き水を、現在は井戸を掘って利用している。
火力は薪であり、現在はプロパンガスもある。風呂は現在も薪である。(最高でした)
電気は現在は中部電力から送電されているが、50年前までは小水力発電機2機で8軒分を自給していた。(なんと最先端!)
(聞き忘れたが電気の前はろうそくや行燈であったのは日本中同じであったと思う)
ライフラインも当然ながら地域内で自給できていたのである。


3、食べ物について

米は沢水の近くで少し生産されたらしいが、山であるから量はなかったようである。
主食は麦飯であり、麦8米2の配合で、米がなくなるとアワとヒエを使ったようだ。
畑ではムギ、ヒエ、アワ、芋、大豆、小豆、ソバを主に作った。
また共有のトチ山を設けトチの実を利用した。普段食にはトチ粥というトチと麦と米を混ぜたものを、正月にはトチ餅を食べたということである。

今回の体験では囲炉裏を囲んで伝統食をいただいた。
メニューは
里芋を囲炉裏であぶり味噌で食べる「串里芋」
きび(ここでいうきびはとうもろこしのこと)とサツマイモとささげ豆の入った「きび煮」

大根の漬け物
焼き椎茸
栗の渋皮煮
こんにゃくのくるみ和え

いただいたものはほぼ自給作物からできている。大変なごちそうであった。

昔の普段食は3食とも麦飯を中心に、具だくさんの汁、漬け物であったことが「聞き書き 静岡県の食事」(農文協)にある。
別所さんも「めんぱ」という木の弁当箱にムギ飯を詰め山仕事に出かけ、昼食は10時と2時の2回とったとおっしゃる。

(これこそ日本人の食べるべき健康食であろうと思う。私はできればムギでなく玄米を希望だけど、慣れるとムギも平気かなあ?)


4、食を支えてきた畑作の方法

畑は写真にあったように急斜面である。
したがって石を積んで段々畑にすることが必須である。
大沢集落の特徴は段々畑が平らでなく斜めであることである。
通常は等高線にそって平らに畝を作るのが一般的であるが、30度を超す急こう配の畑で傾斜に沿った縦畝を作っている。
横畝にしたほうが土や水が流れるのを防ぐように思えるが、縦なのである。
日本にもこのようなケースは数少ないらしい。
しかしこれこそが水の流れを良くして、土を流さず、作物の出来を良くし、連作を可能にしているのだそうである。


そして究極のノウハウが「掘り込み(ほりごみ)」と呼ばれる手法である。
夏に刈り乾燥させた「かや」や「わらび」などの山草を秋に畑に入れ込んていく。
これによって畑土は柔らかくなり、また雨水の流れがよくなり土が谷へ流れなくなる。
これを昔からずっと続けてきた。やってみると傾斜もあり重労働である。
ムギを作るためにやったそうだ。

こうすることでほとんど肥料も投入しなくて良いらしい。そして連作も可能である。
逆にこれをしないと化学肥料を使っても地力は衰え生育も悪くなるという。
掘り込みを何年続けたら土は良くなりますか、と聞いたら「最低10年だ」とのお答えであった。
まさに自然農法である。

そして大切な山草を確保するために草を生やすためだけのエリアが決めてある。
現代の効率至上主義の農業には完全に失われた持続可能な伝統農法がここにあった。


ちなみに昔は大沢集落でも「焼畑」農業がなされてきた。
山の木を切り一帯を焼いて、
1年目はソバを作る
2年目は豆をつくる
3年目はアワかヒエをつくる
4年目は小豆をつくる
(普通は2年続けて作ると地力は衰えるようである)
5年目は昔は杉を植えた(木材が売れた時代のこと)
そして20年の間に草が落ち豊かな土地に戻る。
これを場所を変えながら順繰りに続けていく知恵である。


5、風土が守る味

ここでは在来作物としてずっと種取りをして品種が守られてきた。
特に「むらさき芽(水窪在来のじゃがいも)」は平地の水窪町でもつくられているが、大沢集落のものは味が異なり甘い、という。
大沢集落の種芋を下の集落で作っても同じ味にならないという。

その理由について別所さんは、
「高度による昼と夜の気温差」「日当たり」「雨量」「風」をあげていた。
特に「高度による昼と夜の気温差」が大きいとおっしゃる。

このことはとても重要である。
要するに人間の様々な農法なんかより、「自然界がつくるそこにしかない風土」が味をつくるのである。

じゃがいもの原産地は温度差のあるアンデス高地である。
野菜は原産地のことをしっかりとDNAに記録している。
だから遠い昔に暮らした故郷アンデスに似た地域でこそ、本来のチカラを発揮する。
日本の温暖な平地で肥料をたっぷりやった品種改良ジャガイモは味がぼけた別物である。

私も種イモをいただいてきたから植えてみるが、同じ味は出せないと、初めからあきらめている。
しかし、生命力あるジャガイモはできるだろうと大いに期待している。


6、おわりに

私たちは戦後の経済成長のおかげで良い時代に生まれたが、失ったものも大きい。
本当に持続可能であり、そして健康で美味しいものは古い伝統の知恵の中にある。
便利さを手放せない部分もあるが、伝統を生かすことが日本人の生命を永続的に守ることにもなる。
そのことを五感で改めて認識させていただいた貴重な体験であった。


今回、惜しみなく伝えていただいた別所さんや集落の方々、又この企画を立案してくださった静岡県西部農林事務所の鈴木さんや同僚の方々、楽しく体験をご一緒できた参加者の皆さんに心から感謝いたします。



追伸

別所さんが案内してくださる「ランプの家なかや」では皆さんも伝統食などの体験ができます。(有料)
ご興味がありましたら別所さんまで電話でお問い合わせください。
別所賞吉さん 0539-87-2773




畑の風景
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製茶工場にあった含蓄ある言葉
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囲炉裏を囲んで食事
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串里芋
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ひえ煮
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左が在来「むらさき芽」右はよくあるメークイン
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むらさき芽を説明する別所さん
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掘り込みの実習。別所さんは80歳とは思えない!!
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こんにゃく芋と別所さん
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by shizenchiyuryoku | 2012-11-08 18:34 | 基本的な考え方 | Comments(0)

Something Great な チカラ

中秋の畑にて、最近の状況をお見せしましたが、今日は特に気になっている野菜を紹介します。

それは白菜です。

2種類の白菜を見てほしいのです。
ひとつは自然に生えてきた自生え白菜。
ふたつめは種から可愛がって育苗した白菜や購入苗の白菜です。


まずは自然生え白菜の経緯から写真で振り返りますね。
今年の春の写真です。このようにアブラナ科の野菜たち(白菜、小松菜、大根など)が子孫を残すために花を咲かせ、虫によって受粉し、種をつくります。この時期は生命の美しさと生存の営みに圧倒されます。種は取らずにそのまま地面にこぼれるがままにしています。
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そして7月初旬に発芽してきました。あれ、白菜の種まきのタイミングには早すぎる、野生の植物でも発芽時期を間違えるのかなあ、と思っていました。
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案の定発芽しばらくして虫に食われ葉はかなりやられ、そして梅雨明けの雨なし猛暑で息も絶え絶えのように見えました。発芽時期が早すぎるよ、と同情の気持ちでおりました。写真は8月中旬です。
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一方こちらは種から育苗中の白菜の苗。水やりに気を使い育てています。(9月初旬)
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そして畑に定植したのですが、すべて虫に食われたのは以前の記事に書いたとおり。唖然としました。苗はいい感じだと思っていたのに。。。写真は2回目の苗定植です。今度こそはと、虫よけに網カゴを用意し気合いが入ります。(9月中旬)
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そして10月中旬現在の姿は。。。。

先に、カゴの白菜です。自分で育苗した2度目の白菜はカゴの中でも虫に食われ、残りわずか。仕方なく市販の苗を購入することに。市販苗の中で酷いものがこの写真。(大丈夫なものも多いですが)
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そして一時はあきらめて放っておいた白菜。交雑し、小松菜やブロッコリと一緒に育っています。(大きさはシャープペンで想像ください)
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この白菜などの大きいこと。元気なこと。葉の色つや、厚みが違います。驚嘆です。
発芽時期を間違えて、なんて考えた人間の私の無知が恥ずかしい。
多分、小さな種の中には昨年の生育を通じて、この地の特徴などの情報が書き込まれているのですね。
そしてあらゆる条件を判断して発芽してきたのですね。
こんなことは人間やコンピュータには出来ないと思いますよ。
遺伝子組み換えのモンサントのコーンも今年のアメリカの干ばつでダメだったのだから。


福岡正信さんの本を読み返してみました。こうお書きになっていました。

「春までおくと、トウが立ち花が咲くようになって、(略)花から出た種子が落下して、付近一帯に6,7月、再度一代雑種の菜類がたくさん生えてくるようになる。この野菜は元の野菜とは大分おもむきの変わった合いの子の野草化された野菜になって、たいていは巨大なお化けのような野菜になる。」(無3、自然農法より)

「とにかくバランスを取るの取らないだの、播き時だのなんだのかんだの言って、理屈は言えますが、結論から言うと、それらの全体を見た場合には、人間が手も足もでないほど複雑微妙にからんだのが自然界ということなんです。(略)アカシヤ自身からみれば種子が1-2粒生き残り生えてくれればそれでよい。大多数の種は他の虫や小動物のえさになってさしつかえない。自然は皮相的にみればおおらかで大雑把です。その反面自然を分析的に深く研究していけば、科学的知恵では捉えられないほど高度な有機的生き物です。だから自然の真髄をつかみ、それを生かした自然農法などをやろうと考えたら、とんでもないほど、むつかしい、きびしい農法になるのです。上手に種をまくことから自然農法は出発するんですが、その上手下手が人知では計り知れない。」(自然に還る、より)


まったくおっしゃる通りです。

母なる自然界の、あるいはSomething Great なチカラによって、私も白菜の種と同じように生かされているのかな。
自然に感謝して、抱かれるように生きるべきなのに、人生で無駄なことばかりしているのかな、と考えさせられる私でした。。。





by shizenchiyuryoku | 2012-10-18 21:24 | 基本的な考え方 | Comments(0)

昔の農具

前々回に「麦から麦茶をつくる」という記事を書きました。
麦わらのついた状態から、脱穀して、わらやのぎ等を選り分けて、という作業を参加の皆さんの工夫でやったことを紹介しました。私が良い道具を持っていればもっと楽にできたでしょうが、古代のやり方をさせてしまい失礼しました。。。(古代式は個人的にはとても楽しかったですが。)

あの作業であればどんな道具が使われたのか。昔の農具を紹介します。

写真付きで説明します。写真はインターネットで色々なサイトから無断借用してきたものを使用しています。自然農の川口さんの実地指導紹介のサイトからも無断借用しています。麦の作業に関連するものを中心に選んで、作業手順に従って紹介します。




まずは、脱穀作業からスタート!

はじめは「千歯扱き」です。くしのような歯の間に通して、藁から穂先をはずしていく作業に使います。1920年くらいまで使われていたそうです。手作りの道具が見受けられます。
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次は「足踏み脱穀機」です。踏み板を足で踏むと、扱き胴という鉄の葉がついたドラムが回転して穂先をはずしていきます。作業はかなりスピードアップしましたね。この原理のものは今でも販売されているようですが、おもに1950年くらいまで使われていたようです。
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番外ですが「唐棹(からさお)」はヌンチャクのようにたたいて、ムシロに上に敷いた豆や麦を脱穀する道具です。
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脱穀が済んだら選別です。前回の「麦から麦茶をつくる」のいっちゃんの写真にあったように手箕(てみ)をつかって選り分けていきます。
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「唐箕」です。ハンドルを手で回して羽板で風をおこし、上から入れたものを選別します。重い実や籾は下から、軽い籾やゴミは風で吹き飛ばします。かっこいいですね。江戸時代から1950年くらいまで使われていたそうです。私はこれの動力タイプ(手でなくベルトをつかいエンジンで回す)でコメの選別をしていたのを幼少時代に見ています。
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「唐箕」でも選別しきれないものは、再び「手箕」や「ふるい」や「千石通し」という金属製の網を斜めに張ったもので、選別したようです。
写真が「千石通し」です。上から流すと、網目より小さいものは下に落ちる、という原理です。「万石通し」とも呼ばれたようです。これも1950年くらいまで使われたようです。
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これらは昔からの農家の納屋に今でも残っていることがあります。今の機械と比較すると作業は大変でしょうが、石油も電気も使わないで出来るわけですから、どんな事態がやってきても、びくともせずに何事もなく永続的に続けられる強さが感じられます。





話は変わりますが、横浜市栄区の本郷ふじやま公園内に古民家があります。昔の農具が納屋にありますから農家なんでしょうが、かなりの豪農あるいは庄屋だったようですね。屋敷が立派すぎます。農具以外にもなつかしいものが色々あったので写真をのせます。
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土間ですね。
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かまど。火力が強いのでガスよりおいしいご飯が炊けます。電気炊飯は比較にならんでしょう。
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暮らし方によって道具も変遷してきました。現代の暮らしも便利ですが、昔の道具を取り入れた暮らし方も良いですね。どちらにも良い面と悪い面が人それぞれにあると思います。はじめから無理だと決めつけず、どうやったら取り入れられるのか、想像してみると楽しいです。

ちなみに私は、農的循環社会の信奉者です。暮らしのスタイルを少しでも農的循環型にもどすことで、食料問題、エネルギー問題、環境問題、社会問題などは良い方向へ進むと信じています。
by shizenchiyuryoku | 2012-08-11 23:33 | 基本的な考え方 | Comments(0)

万葉のはたけ


奈良県明日香村へ行ってきました。
本当に、まほろばの地でした。

日本の原風景といわれるように、畑もいたるところにありました。
関東の黒ボク土(火山灰由来)と違って肌色に近く、陽を浴びて光輝いているように見えました。
地元のお年寄りに聞いたら、やはり地味が良いようです。
時代の中心地となる場所は多くの人の食べ物を生産するため、地味が良いことは絶対条件でしょう。
世界文明の発祥地はどこも肥沃地ですね。
明日香村はそれだけでなく、土地の気も素晴らしく感じました。
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奈良県立万葉文化館にも立ち寄りました。
万葉の世界を体験できる展示空間で面白いものに出会いました。

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このコーナーは当時の市の様子を再現したものです。
色々ありますね。大根、葱、くり、くるみ、柿、梨、りんご(以外!)、

すべてサイズは小さいですね。
理由を聞いたら、昔は自然に実がなったから本来こういう大きさだった、とのこと!
なんと、無肥料栽培の原点ではありませんか。

現在は品種改良が進んで、おまけに肥料も進んで、大きな作物が一般的です。
市場で売買されるのが、サイズと形など見た目で価格付けされるから、農家は一生懸命大きくします。
大きいから栄養も大きい、というわけではないのであしからず。
味は比例して大味になりますが、大きい分だけスカスカして柔らかいのは現代人好みかも。

飛鳥時代の野菜を試食できたら、本当に勉強になるんだけど。。。食べてみたい。


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続いては穀物や調味料のコーナー。

赤米は、もともとほとんどのコメが赤米だったようです。
日本人は粘り気が強い白米を好むので、甘みもなくぼそぼそした赤米は室町時代には食べなくなったとか。
ただ赤米は生命力が強くて収穫が期待できるようです。
人間は、歴史的に美味しいものを選択してきて、今の食になったことも事実だからそれも仕方ないのか。
個人的には時々でも赤米を食べるほうが、いろんな意味で良いと思いますが。

写真にある「蘇(そ)」というのは古代の乳製品。
牛乳を煮詰めてつくったらしい。チーズのような固形物です。
食べる機会がなく残念でした。食べてみたい。。。
蘇我入鹿の蘇と同じ字だから、渡来の権力者が食べたのでは?本当に庶民がたべたのかなあ?

「醤(ひしお)」は今の醤油と味噌の中間製品。



なんだか古代食に興味が出たので、「卑弥呼の食卓」(大阪府立弥生文化博物館編)を読みました。
そのなかの奥村彪生(あやお)さんのご説明によると、

佐賀県唐津市の菜畑弥生人の食べ物は、

穀物 :コメ、ダイズ、ソバ、アワ、ヒエ、アズキ、リョクズ、
木の実:クルミ、アカガシ、シイ、イチイガシ、アラカシ
野菜 :ゴボウ、マクワウリ、ヒョウタン
魚介 :サメ、エイ、マイワシ、ボラ、マグロ、サバ、アジ、ブリ、スズキ、ヒラメ、クロダイ、マダイ、ベラ、ハゼ、コチ、フグ、カレイ
動物 :ノウサギ、イノシシ、ニホンジカ、タヌキ、アナグマ

とあります。

また池上曽根遺跡から出土したものとして、野の幸、畑の幸のみ(山の幸、海の幸を除く)を紹介すると、

野の幸:ギシギシ、ツユクサ、(つくし、ふき、よめな、たんぽぽ、のびる、みょうが、あかざ、のあざみ、はまあざみ)
栽培 :マクワウリ、スズメウリ、ヒョウタン、ナス、コメ、ソバ、アズキ(ナノハナ、サトイモ、ズイキ、エダマメ、ショウガ、アワ、ヒエ、ダイズ、エゴマ、ダイコン、カブラ、ニンジン、ゴボウ)

とあります。(  )内は実際には出土していませんので想定です。


私の畑の作物に非常に似ています。特にギシギシやツユクサなどについては、胸を張って古代人と話ができそうです(^_^;)

無肥料で無理なく作れそうなものを追求していくと、古代人に近づいて行く、そんな気がします。
ギシギシの元気な畑に立つと「万葉のはたけ」のイメージがわいてきます。
by shizenchiyuryoku | 2012-05-06 17:24 | 基本的な考え方 | Comments(0)

免疫力

先回の記事でカイチュウ博士の藤田紘一郎さんを紹介しましたが、またまた面白い対談がありました。
カイチュウ博士と発酵仮面こと小泉武夫さんの対談本です。
本のタイトルは「カイチュウ博士と発酵仮面の「腸」健康法」です。

もうおかしくておかしくて本当に腸・楽しい本です。
ふたりの抱腹絶倒の会話は本で楽しんでいただくとして、なるほどと感じた内容を箇条書きで紹介します。


・人間の免疫力をつくるのは70%は腸内細菌である。腸が強いと癌にも風邪にも強くなる。残りの30%は心の問題である。

・腸内には善玉菌も必要だが、悪玉菌もいないと免疫力が働かない。たとえば大腸菌は悪者といわれるが、野菜のセルロースを分解する酵素を人間は持っていないので大腸菌が野菜を分解してくれたり、他の悪玉菌をやっつける働きがある。
自分に都合のいい菌だけ増やそうとすると、全体がうまく働かなくなる。

・腸内細菌が免疫力の70%を担っているから、何を食べるかは大切なこと。
・腸内細菌のエサとなる穀類・野菜類・豆類・果物類を食べると腸内細菌が増えて免疫細胞を刺激する。(といっても偏った菜食主義者になるのでなく、ホルモンのために時々肉魚も食べるべきである)
・昔の日本食がよい。ご飯・根菜・菜っ葉・果物や青物・大豆(味噌汁や納豆や豆腐)・海藻・魚。考えると海藻と魚以外は土のものである。すべてミネラルを多く含んでいる。植物の栄養源は土のミネラルである。
・食品添加物や防腐剤は活性酸素が増えて腸内細菌が減り免疫力が落ちる。

・小泉さんは納豆を毎日食べて腸内に納豆菌をうようよ飼っているから悪い菌に負けない。ただし発酵食品は、毎日食べ続けないと効かない。

・健康状態はうんちでわかる。昔の日本人は1日平均300グラムのウンチをしていた、今は150がやっと。
・戦前の日本人は免疫力が強くウンチの量も世界一だった。いいウンチは臭くない。
・ウンチの半分は死んだ腸内細菌と生きた腸内細菌である。
・ウンチが小さいということは腸内細菌が少ない人である。

・免疫力の30%は心の問題である。笑ったり、いいことを考えると免疫力は上がる。



私が箇条書きにすると、せっかくの楽しい対談がなんだか味気ないものになってしまいました。それに対談はもっともっとためになる話でいっぱいです。。お許しください。。。



さて、人間は腸と腸内細菌が大切でした。そしてそのためにミネラルを含んだエサ(植物など)が大切でした。
一方の植物はどうでしょうか。
植物にとって人間の腸にあたるものは土壌であり根圏です。人間は咀嚼器官で食べ物を細かくし消化器官で消化されていきますが、植物は咀嚼できませんから食べ物を細かくするのは土壌生物や微生物の役割です。それらの力をかりて自分で消化していくのです。
だから土壌が生物相豊かなものでないと、健康な作物は出来ないのです。土壌を貧しくする化学肥料や農薬を使えば、生物はいなくなり、豊かなミネラルなど望めません。またたとえ有機肥料であっても肥料過多であると不健康な土壌になる。そしてできた不健康な作物を食べることは人間の腸内細菌にとっても良くないのは明らかだと考えます。

フランスの研究者アンドレ・ヴォアサン(1903-1964)は「動物と人間の病気を治したければ、まず土壌を健康にしなければならない。」と言いました。

健康な野菜つくりは一にも二にも健康な土壌つくりです。



by shizenchiyuryoku | 2012-02-23 00:09 | 基本的な考え方 | Comments(2)

「養生訓」と野菜

貝原益軒の「養生訓」。読んでみました。興味をもつ年齢になったということですね^_^;

益軒が83歳のときに書かれたもので、世人後世のために暖かい想いで遺されたものだそうです。医者ではなく哲学者であったゆえに、体の養生だけでなく心を問題とする人間学として現代まで読み継がれてきたということです。

読む人によってためになる箇所も異なるでしょうから、私のひっかかったところだけ紹介します。

まずは【養生法の要点】。ここに集約されているような気もします。(現代語訳 伊藤友信)

「養生の道は多言を必要としない。実行することは、ただ飲食を少なくし、病気を助長するものを食べず、色欲を慎み、精気をもらさず、怒り・悲しみ・憂い・思いなどの感情に激しないことである。
 心を平静にして気を和らげ、言葉を少なくして無用のことをいわないで、風・寒・暑・湿の外邪を防ぎ、またときどき身体を動かし、歩行し、だらしなく横になって寝ることをせず、食気の循環をよくすることだ。」

私は実行できていません。知っていることばかりなのに実行できていないということです。反省すべきことが色々あります。。。年老いてからでなく、若いうちから養生に努めよとおっしゃっています。肝に銘じます。。。



さて、養生訓の中にこんな面白い項目がありました。

【肥料と食物】
 「すべての食物のうちで、畠に栽培された菜がもっとも汚れている。その根や葉に長くしみこんだ人糞の肥料はすぐにはとれないからだ。食べるためには、まず水桶をきめておき、それにたっぷり水を入れて菜を浸し、その上からおもりをおいて、一夜もしくは一日ののちにとりだし、刷毛でその根、葉、茎を十分にこすって洗い、きれいにして食べるがよい。
 これは近年、李笠翁の「閑情寓奇」に書いてあることを知った。中国では神を祭るのに畠で採れた菜を用いないで、山や川辺にできた自然の菜を用いている。畠の菜でも瓜、茄子、ゆうがお、冬瓜などは汚れていない。」

 なんとここまで人糞に対して厳しく書いているとは知らなかった。人糞は江戸時代の都市型商業的栽培に欠かせないものであり、都市と周辺部の循環型社会の模範である、と現代人が絶賛しているものである。分断された農薬化学肥料現代農業からすると良く見えても、当時はこのような見方もされていたのかと、びっくりした。神様に捧げるものは無肥料の自然の菜であることも大いに参考になった。
(瓜やナスも同じと思いますがねえ。この部分はよくわかりません。)


ところで人糞といえば肥溜です。私は幼少時に肥溜をみた記憶がうっすらとあります。さすがに肥溜に落ちておぼれた記憶はありません^_^;
小学生の時は学校の検便で「行虫」が見つかり、医者に行った記憶があります。野菜から移ったのでしょうか?

戦後の日本社会はアメリカGHQ(私の同時代ではないですよ)の指導のもと、不衛生だとして肥溜農法は壊滅させられたようです。アメリカ人はレタスなど生で野菜を食す習慣があったので神経質だったようですね。



ところでカイチュウ博士こと藤田紘一郎博士を知っていますか?とてもユニークですね。ぜひ著書をお勧めします。

博士は体の中にサナダ虫を飼っていたのですが、そのおかげでダイエットでき(歌姫マリアカラスは半年で50キロ減量!)、そしてアレルギー鼻炎や花粉症、喘息が治るという研究をされました。

なかには人体に危険な寄生虫もありますが、多くの寄生虫は人体と共存関係を保つそうです。だから寄生虫の抹殺、異物の排除、抗生物質の乱用、超清潔志向、自然からの遮断、は科学と文明の進歩のようにみえて全く違う方向に走っている、ということですね。

これは農業でも同じです。作物の植え付け前に「土壌消毒」と称して土の中を消毒する農家があります。良い菌も悪い菌も一網打尽に皆殺しです。それで病害虫から作物を守るという目的ですが、結局悪い菌だけが急速に増加するので農薬を大量に使います。考えてわかりませんかね。

現代科学とはこのような幼稚なことを一生懸命やっているのですよ。

土の中で植物の根と微生物は共生関係を作ります。ここには現代の薄っぺらな科学では解明できていない、生命や宇宙の仕組みがあるようです。



by shizenchiyuryoku | 2012-02-13 19:17 | 基本的な考え方 | Comments(0)

虫がつく理由

寒さの厳しい日が続きますね。

冬は日当たりなどの理由で半分お休みしています。
半分というのは、春に向けた土づくりの作業があるからです。(あとはわずかな収穫のみです。)
といっても、私の場合は基本的に不耕起だし、無肥料だし、有機農業のような堆肥づくり(重労働です)もやらないので、相当に楽をさせてもらっています。
この冬にやったことは、通路の固い地面をスコップで縦に切っていき(土を上下を撹拌しない)、空気と水の供給が出来るようにして、作物の根張りを助けることでした。このイメージはイタリアで買った有機農業の本のイラストで思いつきました。とにかく土をやたらとかきまぜないことです。



さて、私の無肥料栽培の自慢は野菜に決定的な病虫害が出ないことです。しかし、、、、。

昨年の暮れに収穫した白菜にたくさんのなめくじと虫がたかっていました。(甥と姪のお母さんTさん、ごめんなさい)
見た目は立派なのですが、多くの虫にたかられ、そして案の定、味も美味しくありませんでした。スーパーの野菜と同じレベル1です。

ところが、年明けに収穫した別の畝の白菜は、虫にやられずに、そして食感も味も最高でした。甘いです。命の味がします。レベル5です。

この違いはなんでしょうか?

どちらも同じ日に、同じ苗(市販)を植えています。
違いは育てた畝が異なることしか思いつきません。

虫にやられた白菜の畝は、土中が硬く30センチくらいしか耕していません。棒を挿しても40センチしか入りません(30センチの地中+地上の厚み)。多分、白菜の根はそれ以上は伸びないと思います。そしてそれを補うかのように、夏の間にたっぷりと刈り草を20センチくらい敷きました。したがって成長に必要な養分は敷き草とそれに関連して供給されています。初期生育は見事でした。白菜と葉物は間違いなく虫がつかなかった畝より初期生育が早かったです。ブロッコリと大根はどちらの畝も大きくは異なりませんでした。

一方の虫がつかなかった畝。以前に170センチまで深耕し、いまでも棒は90センチ入ります。つまり物理的に根が伸びる環境です。敷き草は夏に多少しましたが、対象畝ほどたっぷりとしていません。初期生育は遅かったです。初めは敷き草の不足を嘆いていました。

以上が異なる点です。このことから推測すると、
1、根の張れる環境があるほど、健康な作物になる。
2、過多な敷き草は養分供給の役目以上の悪影響を及ぼすこともある。
という教えをいただきました。
本年も継続して確認していこうと考えています。



さてここからが本論です。
なぜ虫のつく作物とつかない作物に分かれるのか?

参考文献を引用します。
「農薬でなく、作物の健康を」 (J.A.ルッツッルベルガー著「エコロジーと健康」1997、中村英司訳)

「略、、、

F.シャブスー(農業生物学者、ボルドー農業研究所)の考えによると、害虫が好んでとりつく作物の体内には十分な量の水溶性の養分、つまりアミノ酸、糖類、可溶性の無機養分などがたまっている。昆虫にはタンパク質分解酵素がないので、植物体内の異質タンパク質を養分にすることができず、水溶性のアミノ酸などを必要とする。また炭水化物についてもデンプンではなく水溶性の糖類のほうが利用しやすい。

他方、健康な作物は、その汁液の中で物質代謝が順調にすすみ、これらの成分は次々とタンパク質やデンプンに合成され、余分な水溶性養分が停滞することは少ない。こんな作物にとりついた害虫は生き残りにくく、繁殖も進まない。第一、害虫にとって健康な作物はおいしくないのである。

どうして体内に水溶性の養分がたまるのだろうか。
第1には養分が絶えず過剰に与えられると、体を作る材料となるこれらの養分を処理しきれなくなることだ。
第2にはこの養分過剰が植物の代謝機能を抑制するからである。また土に与えられた大量の無機養分が土の微生物活動とその団粒形成機能を妨げ、微量元素の吸収を減らし、それが代謝機能を妨げる。
第3に農薬は体内の代謝機能を弱めるので水溶性養分がたまりやすくなる。農薬をやると反対に害虫や病気が増える原因はここにある。

略、、、」


とても明快な答えです。私にとってはこれで十分な答えです。このような研究と発表に心から感謝します。


さて話を戻します。
白菜に虫がついたこと。これは過多の敷き草が原因だったのか、否か。

今年も模索が続きます。



おまけ
 「人間も同じですね。食べすぎ、栄養過多は代謝機能が衰えて病気になりやすい。微生物を大切にしない暮らし方は人間の不健康にはねかえる。消毒、殺虫剤、薬に頼るひとは不健康になりやすい。違いますか?」
by shizenchiyuryoku | 2012-01-31 21:16 | 基本的な考え方 | Comments(2)

肥料の歴史

私は無肥料実践者なので、肥料、なかでも化学肥料を知る必要はないのですが、日本の農業の歴史を知ることは大切だと思います。常識と思っている肥料が、いつどのように導入されたのかを知ることは、もしかしたら裏に隠された本質を知ることにつながるかもしれないと思うからです。それによって肥料が必要なのか、なくてもいいものなのかがわかり、持続可能で安心できる農につながると思います。なので日本での古来からの作物や栽培方法にはとても興味あり、色々読んで参考にしています。


今回は「世界大百科事典」から(化学)肥料について抜粋引用して記録とします。日本の農の歴史を扱った文献はまたの機会に紹介します。
「化学肥料誕生の歴史(欧米)」、「日本の肥料の歴史」、「日本の化学肥料工業」を引用します。



以下引用

1、「肥料の歴史(欧米)」

いつから肥料が農耕に用いられ始めたかを知ることはできないが、人や動物の糞尿、動植物の遺体、食物残さを土に施用すると植物の生育が良くなることは経験的に古くから知られていたと思われる。
(略)
人・畜の糞尿、山野草、草木灰、動植物遺体、あるいはこれらを腐熟させた堆厩肥など、自然に得られる資材をいわゆる自給肥料として使用していた。古代ローマ人は前200年から後100年にかけてすでに輪作、石灰施用、厩肥、緑肥についての知識をもっていたといわれている。さらに農業が発展して、より多くの収量を上げたり、商品性の高い植物が栽培されるようになると、より効果の大きい肥料が求められるようになり、肥料は商品として販売されるようになった。
(略)

植物の栄養になる養分はどのようなものであり,植物はそれを何から得ているかということに関する研究は, 16世紀からヨーロッパで実験的な研究が進められてきた。しかし植物が無機塩と水を土壌から吸収し,炭素は光合成によって空気から得て生長しているということが明らかになったのは 19 世紀になってからである。すでに 1804 年に植物が光合成によって炭酸ガスを吸収していることはスイスのソシュールNicolas Thレodore de Saussure (1767‐1845) によって証明されていたが,なお植物は炭素その他の養分を土壌中の腐植から得ているという A.D.テーアらの〈腐植説〉が広く一般に信じられていた。

この腐植説に対してドイツのJ.F.von リービヒが,水と炭酸ガスといくつかの無機塩で植物は育つという〈無機栄養説〉を提唱したのは 1840 年であった。 60年にはザックスJulius von Sachs (1832‐97) が水耕法で植物を育て,窒素,リン,カリウム,硫黄,カルシウム,マグネシウム,鉄が必要なことを示した。さらに 20 世紀に入って 1954 年までに,銅,亜鉛,マンガン,ホウ素,モリブデン,塩素などの微量要素の必要性が証明された。

 このように,植物が必要とする無機塩類が何であるかが明らかにされると,それを合成して肥料として施用する試みが始められ,人工的な化学肥料の製造と販売が行われるようになった。初め,リービヒはリン酸肥料の製造を試みたが,彼は肥料は土壌に施用されて,水に溶解し流されないようなもののほうがよいと考えたため,その肥料は効果が少なかった。またリービヒは,窒素は植物が空中から固定すると信じていたので,窒素肥料は不要と考えた。

これに対しイギリスのJ.B.ローズは,骨粉やリン鉱石に硫酸を作用させる方法で,水溶性の過リン酸石灰をつくり,その有効性を圃場 (ほじよう) 試験で示し, 1843 年には過リン酸石灰の生産,販売を開始した。また,ローズは有名なロザムステッド農業試験場の圃場試験で,窒素も肥料として必要なことを示した。マメ科植物の根が根粒菌との共生によって空中窒素を固定しているのが,ドイツのヘルリーゲル H.Hellriegel とウィルファルト H.Wilfarth によって証明されたのは 1886 年である。 19 世紀末にはチリ硝石の埋蔵が少なくなり,窒素肥料の合成の必要性が叫ばれ,電弧法により硝酸が製造され, 1906 年にはフランク=カロー法による石灰窒素の工業的製造, 1913 年にはハーバー=ボッシュ法による合成硫安の工業化が開始された。

カリ肥料は 1856 年にドイツのシュタスフルトでカリ鉱床が発見され1861 年に塩化カリ工場がそこに設立されて生産を開始している。このころから,化学肥料がしだいに天然の有機質肥料に代わって主流を占めるようになる。そしてすでにこのころから,化学肥料が家畜や人間の健康を損ね,土壌を劣悪化するのではないかと主張する人々もあらわれたが,アメリカ合衆国下院の委員会で〈化学肥料のために人間または家畜の健康に有害な影響が生じたという確固たる証拠はなかった〉という結論も得られた。しかしこの論争は現在も続いている。
(以下略)
(茅野充男 筆)



2、[日本]

 日本における最初の肥料は苗草 (生草) であって,登呂遺跡から出土した田下駄はこれを踏み込むための農具であったと考えられる。この苗草は,8 世紀の初めころからは,かなり一般的に使われたようであるが,それ以後の基本的な肥料としては,苗草にあたる青草と山野の草木を焼いた肥灰 (こえはい)とが用いられた。 人糞尿は古い時代には用いられた確証がないが, 遠肥は《延喜式》にみられる内膳司の園の蔬菜 (そさい) 栽培に,左右馬寮より出る遠肥が用いられている。

しかし一般農民が家畜をもち,それを年中舎飼いして遠肥が重要な肥料となるのは中世に入ってからのことである。
ことに水田肥料の使用が大きな問題となってくるのは,中世の畿内,山陽道に水田二毛作が普及した後で,そこでは山野の草木を青刈りのまま,あるいは遠(うまや) に入れ,あるいは灰に焼いて施したのであった。中世の農業事情を示すといわれる《清良記》が遅効性を中心とした肥料論を展開し,採草給源としての山野の利用問題に言及していることは, 刈敷(かりしき) が当時の主要肥料であったことを示すものである。このような事情は近世になってからも同様で,領主への年貢生産と自給だけを問題とする経営では,やはり上記のような刈敷,遠肥,堆肥,灰が基本肥料であり,人糞尿も補助的に重要視された。

ところが近世における三都 (江戸,大坂,京都) をはじめとする都市の発展は,商業的農業を発達させ,蔬菜や加工原料農産物の販売は,農業外部からの肥料購入を可能にした。購入肥料の中心は油かす類,魚肥 (干陛(ほしか),ニシンかす),人糞尿であった。明治の初年までは,このような状態であったが,中期以後はダイズかすが登場してきて魚肥とともに肥料の中心となり,末期からはさらに化学肥料が用いられるようになってくる。過リン酸石灰を第 1 とし,やがて硫酸アンモニア (硫安) が用いられるようになるが,昭和恐慌後,急速に国内肥料工業が盛んになるまでは輸入品を中心に用いていた。
(三橋時雄 筆)


3、「日本の肥料工業」

・第2次大戦前
 日本においては、肥料の中心をなしたのは19世紀末ころまでは江戸期以来の魚肥であったが、日清・日露戦争後に大陸からダイズかすが安価に輸入されるようになり、大正中期まではダイズかすの時期が続いた。
 一方化学肥料については過リン酸石灰工業が最も早く発達した。1887年に東京人造肥料会社(現 日産化学工業)が渋沢栄一らの協力により設立され、(略)、90年には多木肥料製造所が、92年には大阪硫曹も生産をおこなうようになった。(略)
 窒素肥料工業は1909年日本肥料(現チッソ)が石灰窒素を生産したことに始まる。第一次世界大戦後は合成硫安が登場しチッソ肥料の中心的位置を占めるようになる。(略)
 1930年代、硫安工業は外国硫安との競争が除かれたこと、農村不況が回復し需要が順調に増加したこと、さらに軍需の増大と結びついたことから順調に発展した。しかし日中戦争、太平洋戦争が激化するにつれて、硝酸など直接軍需品の生産増加、原料途絶、戦災などのため生産は急速に減少していった。

・第2次大戦後
 政府は食料増産、経済復興をめざし、鉄鋼、石炭などとともに肥料工業を重点産業とした。(略)この結果、49年までには各肥料とも戦前最高水準まで生産は回復し、輸出余力も生じるようになった。硫安の輸出は48年からGHQの命令により開始されていたが、(略)
(清水敏聖 筆)


以上引用終わり

簡潔で分かりやすかったと思います。大辞典ですから。ただ、ものの見方には色々ありますし、あるいは記載されていないこともあるかもしれません。


私の勉強のための愛読書に「守田志郎」さん(1924-1977)の本があります。「農家と語る農業論」には化学肥料の日本での展開が書かれていました。
箇条書きで要点をまとめてみました。


1、明治になってからはじめのうちは、肥料というものは堆肥とか人糞というものでやっていくんだ、乾田馬耕で堆肥やら魚粉やら(※)大豆粕を入れたりしていくという努力がねられてきた。ところがヨーロッパから学問が入ってきて、日本は突然に学問と学者を尊重する世界になり、チッソ、リン酸、カリという化学肥料単肥としてそのまま農家に指導していく。

 ご本尊のドイツでは、あくまで農家の実践する堆肥が主体であり、それで作物に必要な養分は得られるが、化学肥料単肥を施すとより良くなるものもある、といった補完的なものとして農家に普及をする。
ところが日本(明治政府)では化学肥料単肥があれば堆肥は不要という、現場を無視した学問だけで突っ走っていく。学者の出した学問をそのまま絶対視して農家を指導しようとした。

2、日本でも明治の後期には硫安をつくっている。つまりチッソは工業的に作られ、当時の工業と言えば鉄工業であり軍需産業であった。硫安は硫化鉄鉱から鉄を作る過程で副産物として作られてきた。軍需により副産物としての硫安も大量にでき、それをどんどん農業にぶちこんでいく。
 化学肥料にばかり依存する必要性は当時の農業にはなかったけれど、「化学肥料という「国策」と「指導」が強力にはいった。」

3、第2次世界大戦のあとでは、占領軍のアメリカが食料不足解消のために化学肥料を大量に使わせたことは想像に難くない。

4、その後も同じ構図で、たとえば耕運機ができると、牛を飼って堆肥を作っている農家に、県や農協の指導員がやってきて、そんなのやめて化学肥料を使いなさい、と指導していく。

(※)別の本では魚粉も日露戦争で大量に出た魚の処分のために政府が農業に使わせたと読んだことがある。



ここからは私の感想です。


1、農家は化学肥料が楽に短期的に収量が上がるから大喜びで飛びついたのだと思っていました。仕方ないのかなと思っていました。
しかし守田さんの書では、どうも国策で押し付けられた感がある。(戦争も自然破壊開発も原発も立派な国策です)

 農家は喜んだのだろうか、本当は体験的にそれらが不要であり、むしろ長期的に土をダメにすることを感じていたのではないだろうか。だけど国策でやむなし(抵抗しづらいようにいろんな手で締めつけられたのかもしれない)、しかも短期的に収量が上がるからはっきりと断る理由もなかったのか。そのあたりはもう少し調べてみないと断定できないが。

2、戦争が日本を欧米列強から守るためであり、そのために持続的農業よりも化学肥料による効率的大増産を図ったというのなら、理解できなくもない。(戦争賛成派ではありません)。農民が兵士としてとられたら手のかかる堆肥もつくれまい。材料も不足したかもしれない。
 また太平洋戦争後の食糧難を考えれば、その時期に化学肥料で増産を図ったことも理解できる。

 しかし「もはや戦後ではない」現在、同じように化学肥料と農薬に頼る農業が果たしていいのか。なぜ方向を変換できないのか。一度決めたことは曲げられない役所体質なのか。安全な農業より肥料メーカー(経団連)の利益を優先しているからか。農協の重要な販売アイテムだからか。

 化学肥料を使い農薬を使う農業を慣行農法という。
これは完全にネーミングのイメージで人を洗脳する手法だと私は思っている。誰でも慣行と聞けば、昔からなされてきたものだと思う。
しかし、化学肥料誕生からわずか100年でしかない農法で、とても慣行と言えるものじゃないでしょう。

農家は肥料に限らずあらゆることで昔から戦争や国策に振り回された来たんだと思う。国策か。。。。

3、「日本の肥料の歴史」に、「日本における最初の肥料は苗草 (生草) であって,登呂遺跡から出土した田下駄はこれを踏み込むための農具であったと考えられる。(略)。中世の農業事情を示すといわれる《清良記》が遅効性を中心とした肥料論を展開し,採草給源としての山野の利用問題に言及していることは, 刈敷(かりしき) が当時の主要肥料であったことを示すものである。」

 これはまさに私の無肥料農法です。^_^;。つまり本来はこれでいいということです。効率は多少悪いけど、あまり極端に悪いわけではありません。今は戦争中じゃないんだから、いいじゃないか。本当に自然界に負荷を与えず、人間の体に良いものを追求する時代じゃないの?

 ちなみに江戸期都市部の商業的農業の肥料体系は、現在も一般的な有機農業と同じです。(人によって肥料も千差万別ですが。)

 そうか、登呂遺跡か。清良記か。。。。なんだか古人に応援されてる気がしてきたぞー^_^;
by shizenchiyuryoku | 2012-01-17 22:32 | 基本的な考え方 | Comments(0)

自然治癒力を高めよう


あけましておめでとうございます。

皆さんをはじめとし、すべての生き物にとって健やかで平安の年でありますようお祈りいたします。


昨年は多くの困難があった年でした。2012は良い年であることを願いますが、世界の経済・政治では大きな問題が起きるでしょうし、自然現象についても何が起きるか分からないと思います。

ですが、それらの事象は私たちがコントロールできるものではありません。だからヘンに身構えて心身ともに疲れてしまったりしないで、私たちにできることにフォーカスして、健康第一で幸せに過ごしていきたい、過ごしていただきたいと思います。



まずは普段から心身の自然治癒力を高めることに気を使いながら毎日を過ごすことに尽きると思います。

そのためにも西洋医学科学万能主義に少しづつサヨナラしていきましょう。

たとえば、風邪をひいて熱が出た。現代一般的には医者に行って薬を飲んで栄養とって休みましょうとなりますが、ここの読者の方はそんなのおかしいとご存知ですね。熱が出るのは体がウイルスとたたかうための援護射撃であり、つまりは自然治癒力ですね。それを薬(曲者)で無理やり抑え込んでも根本はなにも解決されておらず、逆に自然治癒力を弱めていることになります。こういったことが繰り返されれば、体はどんどん弱っていき、薬に頼らないといけないように弱くなる。皆さんご存じのことでしょうから、しつこくなるのでやめておきます。

野菜についても同じです。肥料過多で弱った野菜に農薬をかけても、根本はなにも解決していない。農薬や農薬をかけた野菜が問題でなく、農薬をかけねばならぬほど弱った野菜に問題がある。病虫害をよびよせる野菜とその原因に問題がある。そのために無肥料で健康に育てる、ということです。
「自分の食べるものはみな、良きにつけ悪しきにつけ、自分の体の一部となる」とは有名な言葉です。弱ったものを食べて、丈夫な心身が保てる理由がありません。(でもたまにはたべてもいいですね^_^;)


そして「微生物を大切にしましょう」。本当のエコロジーとはハイブリッドカーに乗ることでもなく、電気節約家電を買うことではありません。それらは広告の洗脳です。
エコロジーとは
the way in which plants,animals,and peoples are related to each other and to their environment(LONGMAN AMERICAN DICTIONARY)
であり、すべての生き物たちとの共生であるということです。特に微生物との共生が大切と考えます。何かをするとき、「これは微生物たちが喜ぶことだろうか」と自問してください。車に乗って微生物は喜びますか?電気を節約したからと微生物が喜びますか?微生物がイエスと言う行為こそ、私たちが心がけるエコロジーに違いありません。微生物の驚異については機会があったら書きたいと思います。


自然治癒力を高めるために健康な食品を食べることはわかりきったことですが、他に何か方法がないでしょうか。色々あるでしょうが、今回はKUSHI MACROBIOTIC ACADEMYの「マクロビオティックライフスタイル14のご提案」の中から私が気に入っているもの3つを省略抜粋転用して、新年のあいさつとさせていただきます。

1、毎日を楽しく過ごす。体をまめに動かし、頭と体を活発に働かせる。毎日歌を歌う。

2、すべてのひと、すべてのものに対して感謝をこめてあいさつをする。食べ物と自然に感謝するよう皆にすすめる。

3、可能であればシンプルな服を着て毎日戸外に出る。裸足で地面、砂浜、畑(畑は私の追加)を歩く。特に自然の美しいところへ行く。


皆様にとって素晴らしい年でありますよう、重ねてお祈りいたします。
by shizenchiyuryoku | 2012-01-04 19:56 | 基本的な考え方 | Comments(0)

データから考える

データから考える

ネット検索していたら、「社会実情データ図録」というサイトにたどり着きました。いろんな客観的データをそろえているのですが、それらを見ているとまさに社会実情がみえてきます。とても面白いサイト運営をされている管理人さんに感謝します。

私が関心を持ったのは、もちろん農関連です。
一見すると別々のデータが、なんとなくつながりを持ってくるのが面白かったので紹介します。

断っておきますが、このデータはサイト管理人さんがデータ出所まで明記した客観的なものですが、以前も書いたように、データというものは政治的あるいはいろんな利益に誘導するために公表されることも多いので、少し疑いの目も持ちながら接してくださいね。もちろん純粋な目的の場合も多いと思います。そしてもちろん私のこじつけ見解は大いに疑いをもって読んでくださいね。


初めは「有機農業経営の農地面積比率(OECD)」です。
d0190369_14483550.gif


これは有機認証されたもののみ計上されていますので、少しの誤差はあるかもしれません。
日本では昔から有機農業をされて、カネと手間がかかりすぎる認証をとらない農家も多いです。直接消費者と結びついて信頼関係があれば、第3者検査機関などいらないわけです。不特定多数の消費者や大手流通会社を相手にする場合は必要なのだと思います。

さて、日本は0.6%ですよ。
流通している農作物の1%くらいしか有機作物はない。と捉えていいのでしょうか。寂しすぎますねえ。

EUは発足時から有機農業を奨励し、補助金などを投入しました。だから各国ともすごい勢いで伸びています。補助金は打ち切りになったようですが、どこまで低下するのか。自然環境や景観や食に対しての意識が日本と違う彼らですから、大きくは下げないのではないかと思いますが。。。。




次は「主要国の農薬使用量推移(単位面積当たり)」です。
(青ー韓国、ピンクーフランス、最下段ーアメリカ)
d0190369_14492622.gif

なぜ日本の農薬使用量はこれほど多いのか?
私が思いつく考えは
1、欧米と異なり高温多湿であるため、草・虫・菌が多い。そのためそれらを敵とし排除する考えの農法のもとでは使用量が増える。
2、農薬は出来れば使いたくないが、使わないとできない(作りづらい)作物がある。虫食いの野菜は消費者が買わないので、やむをえず使う。
3、高齢化のため、あるいは効率化のため、楽な農作業が求められる。手間のかかる堆肥作りや除草作業をしたくない。できない。
4、肥料投入が多すぎて、土が疲弊し、作物が弱って、結果的に病虫害にやられてしまうから対症療法の農薬が欠かせない。


4の肥料投入が多すぎる、は次のデータを見て相関関係を直感しました。
「農地の栄養バランス」(窒素バランスとリン(P)バランス)

d0190369_14503364.gif

農薬使用量の多い韓国と日本は窒素とリンのバランスも多いですよね。
これは個人的意見です。
私の畑は、虫も草も菌も超多いですが、健康な作物は虫食いもほとんどありませんよ。なぜだとおもいますか。答えは肥料をやらないからです。
栄養をたっぷり与えると病弱な野菜になり、それは人間に害を与える硝酸態窒素作物であるから、虫が処分してくれるのです。虫は人間のために食べてくれる、という言い方をされる方もいます。虫は窒素過多が好きなんです。そういう病弱な野菜を農薬でなんとか虫食い状態にさせないようにしているのが実態ではないか。実は農薬より、肥料をやりすぎて病弱な作物をつくることのほうが怖いと考えます。


肥料過多の問題が私の一番言いたかったことなのですが、それを引き起こす原因があります。
上記の2についてはまさに「消費者のエゴ(あるいは無知)」があるのではないでしょうか。「大きく立派な野菜がいい(肥料をたっぷり必要とする)、「虫に食われたのは嫌」(肥料や未熟堆肥をやらねばいいのだけど、大きく見栄え良くしようと投入してしまう)、「冬でも夏野菜がほしい」、そしてそれらに加えて極めつけは「少しでも安いものがいい」。

農家がそれらを同時に満たすには、究極的には肥料をたっぷりあげて農薬を使う。しかなくなるのではないか、と思う。

有機農業が増えにくいのは、国の政策もあるでしょうが、根本的には国民の意識の問題なのでしょうか。その国の政治は国民を表す。農も同じです。このブログに訪れる方はそうでないのは承知してます。大多数の国民が、戦後、土から離れ過ぎて、食についての感覚が弱まっているのだと思います。

韓国のような「兵役」もいいけど、日本では「農役」を在学中あるいは卒業後にしたらどうかなあ。。。。。。
by shizenchiyuryoku | 2011-09-07 14:59 | 基本的な考え方 | Comments(0)

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